兵庫県の病院へ

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前回は祖母が背中を骨折したところまで、書かせていただきました。

祖母は背中を骨折していたにもかかわらず、電話で介護タクシーを呼んで1人で病院に行っていました。
(なぜか電話をかける能力だけは今でも非常に高いです。)

祖母の話ではきちんと入院する手続きをしたと言っていたのですが、手続きはできておらず、病院側としては「家族のかたと1度話をしたい」とのことでした。

母は祖母がレビー小体型認知症であること、被害妄想が激しいことを病院の先生に言うと、当然ですが、家族のサポートが必要ではないかとのことでした。
ただこの骨折したのが年末だったので、母は1ヶ月もの間(骨折が治るまで)宮崎県にいるのは難しいと先生に相談したところ、簡易のコルセットを着けて私たちの家(兵庫県)に連れて行く許可をいただけました。

兵庫県へは車と飛行機に乗せないといけないので、絶対安静の祖母はもちろん宮崎県で入院したほうがよかったのですが、私たち家族の事情もあり、申し訳無い気持ちもありましたが兵庫県まで連れて帰ってきました。

ただ、結果的には兵庫県に連れて帰って来て良かったと思います。
母1人では対応しきれなかったので(笑)

私たちの家(兵庫県)から車で10分ぐらいのところで祖母は入院することとなりました。
祖母は背中の骨が折れていたので、まず自分に合うコルセットを作らなければなりませんでした。

しかし年末でコルセットを作る業者さんは休みに入っており、寸法してコルセットができるのが年明けの14日ごろと言われました。

その間は、もちろんベッドにずっと寝ていなければならず(トイレもおむつにしなくてはなりませんでした)、私たち家族は祖母が2週間の間ずっとベッドの上で我慢できるのかをとても心配していました。

その心配が現実のものとなります。

入院することとなって1日目、いきなり看護婦さんから電話がかかってきます。

看護婦:「ご家族の方のだれか来てもらえますか?

母:「うちの母(祖母)が何かわがままを言ってますでしょうか?

看護婦:「あの〜、いくらベッドから動いてはいけないと言っても、聞いてくれないんです。

母:「すいません、すぐに行きます。

この日は確か、大晦日で看護婦さんたちもいつもより人数が少ないのか、大変忙しそうにしていました。
まず母と父が祖母を説得するために果物などを持って行き、祖母の機嫌をとってどうにか落ち着かせることができました。

私もその後にお見舞いに行ったのですが、祖母は落ち着いていたので納得してくれたのかなと安心しました。

しかし次の日、母が着替えなどを持っていくと、また祖母の機嫌が悪くなっていました。

「ここの看護婦は私の言うことを全然聞いてくれない」だとか「もう家に帰る!」と言ったり「お前(母)はこんな病院に無理やり連れて来て!(怒)」と、怒りがおさまりません。

看護婦さんにもかなり文句を言ったようで、看護婦さんも怒っており「じっとしていられないんだったら、入院しても意味がないので、家に連れてかえってもらってもかまいません」とまで言われました。

母がどうにか看護婦さんもなだめ(笑)、祖母を説得するという約束で引き続き入院させてもらうことに。

そして母は祖母にこう言いました。

母:「お母さん(祖母)、無理やりベッドの上から降りようとして足でも骨折したら、もっと入院期間がのびるんやで」

祖母:「え!ちゃんとベッドの柵が外れんごとしといてよ!骨折したらおおごとじゃ!

母:「だからコルセットができるまでの2週間はちゃんとじっとしとかなあかんのよ

祖母:「わかった。2週間たったら退院できるんやね。

母:「退院できるかはわからないけど、ベッドからおりて歩くことができるんよ。

祖母:「そしたら、ちゃんとじっとしとくよ。

母:「(よかった😅)」

こんな感じで、どうにかベッドから降りようとすることは防ぐことができました。
また看護婦さんから、祖母のお気に入りのぬいぐるみの「大ちゃん」を小さい声でならしゃべらしてもいいとの許可をもらえたので、そのことも祖母が落ち着く要因になったと思います。
(大ちゃんについて詳しくはこちら)

母はもちろんのこと、父、私、弟、姉、姉の子供(曾孫)、と家族総動員で祖母の機嫌をとり、2週間を過ごしました。
(祖母の大阪に住んでいる妹もお見舞いに来てくれました!)

とくに母はレビー小体型認知症の影響で手が震えて食べにくいという祖母のために(コルセットができるまではあまり背もたれを起こすことができなかったのも食べにくい原因でした)、朝、昼、晩とご飯を食べさせに行っていたので大変だったと思います。

そして待ちに待った、コルセットができる日が来ました。
コルセットができることがこれほどうれしいこととは思いもしませんでした(笑)

1つ心配だったのが、レビー小体型認知症によるパーキンソン病の症状の影響で足が不自由になっていた祖母の足がより悪くなっていないかということだったのですが、筋力が戻り始めるとぎこちないながらも骨折以前のように歩くことができました。

ここから本格的なリハビリをする予定だったのですが・・・。

続きは次回に書かせていただきます!

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