病院でのリハビリを拒否し、退院することになった祖母。
今までは私と母が交代で祖母の家に行き面倒を見ていましたが、今回はまだ足がフラフラした状態で退院したので2人で祖母の面倒を見ることとなりました。(ヘルパーさんにはもうお願いできなくなっていたので)
祖母の家には車と飛行機を乗り継ぎ、祖母にとっては約2ヶ月ぶりの我が家での暮らしになります。
家に着くなり祖母は「トイレに行きたい」というので、とりあえず自分の力だけでトイレに行けるのか、様子を見てみました。
玄関で靴を脱がせ、玄関から手すりまでの1mほどの距離は、私と母で支えましたが、手すりまでたどり着くと、祖母は両手で手すりを持ちながら何とか歩くことができました。
しかし私と母が少し安心したのもつかの間、なぜかトイレと反対方向に祖母が歩いて行きます。
私:「おばあちゃん、トイレ行くんじゃないの?」
祖母:「そうじゃよ、トイレはこっちじゃろ?」
私:「いや、そっちは台所やで!」
祖母:「そうじゃったけ?(笑)、こっちのような気がしたけど。」
約2ヶ月間離れたとはいえ、40年も生活していた自分の家のトイレの位置がわからなくなってしまったようです。
入院中はベットで寝たきりの時間が長く頭を使う機会が少なかったこともあり、少し認知症が進んでしまったようでした。
この日は祖母の家に到着したのが夜遅かったので、移動に疲れたこともあり、早々に寝ることに。
祖母のベッドの近くに母が布団を敷き、夜中にトイレに行く祖母の手伝いをすることになしました。
私は別の部屋でゆっくり休ませてもらったのですが(笑)、朝起きて母と話していると、やはり夜中にトイレに起きた時も、祖母はトイレの位置がわからなかったそうです。
私と母はトイレに関しては「何度か行けば、間違わなくなるだろう」とは思っていましたが、問題は祖母が目を離さずに生活できるかどうかです。
この先、私と母が交代で祖母の家に行き介護をするにも、目を離して危ないようでは難しくなります。
転倒の危険性が高ければ、誰かがつきっきりで見守るか、車椅子に乗せるしかありません。
私はパソコンで仕事をしているものの、祖母のそばで仕事をするのは難しく(空気を読めないのでずっと話しかけてきます 笑)、近くの喫茶店などに行って仕事をしていたので、つきっきりで見守ることは難しく、また祖母の家は、廊下も狭く、畳の部屋がほとんどのため、誰かがついていないと車椅子で移動することは厳しい状態でした。
その他にも、認知症になって以来、祖母は本能的に行動してしまう時が多くなっていたので、こちらの言うことを聞いてくれるのかという心配もありました。
「トイレを行く時には必ず声をかけて」と言っても、いざトイレに行きたくなると、約束のことを忘れて1人で歩こうとしたり。
喉が渇いたと感じれば、これまた1人で歩こうとしたり。
ここから1週間ほど様子を見守っていたのですが、やはり日中、いつのまに1人で立ち上がろうとしてバランスを崩したり(なんとか気づき支えることができましたが)、少し目を離したスキに1人で勝手に冷蔵庫まで歩いていたり。
退院時のフラフラした歩行が不安定な状態からは、骨折した腕に関しても、筋力の弱った足に関しても、良くはなっていましたが、やはり周りから様子を見ていると「安心」よりも「不安」や「危険」と感じることが多く厳しい状態でした。
また、1人暮らしはもうできないので(ヘルパーさんに断られたことや今の現状を見て)、私と母が祖母の介護に帰れない期間はショートステイに入ってもらおうと思っていましたが、そちらもそう簡単な話ではないようでした。
祖母のように歩行が不安定の場合、祖母1人だけにつきっきりで見てもらえるようなことはできないのが当たり前です。
そのため施設にあずけてしまうと、安全のため車椅子での生活になってしまうので、また足が弱り、家での生活にも車椅子が必要になっていきます。
車椅子が必要になると、祖母の家では生活することが難しいので、結局、家での生活ができなくなってしまいます。
祖母の「家で暮らしたい」という気持ちは痛いほどわかりますが、やはり現実的には難しい状態でした。
私達がずっと一緒に暮らしてあげられるのなら良かったのですが、やはり兵庫県と宮崎県と離れているので難しく、また兵庫県に連れて帰ってもうまくいきませんでした。(兵庫県での出来事はこちら)
正直、施設に入れるのには罪悪感があり、すごく悩んだのですが、色々考え、祖母を施設で見てもらおうという決断を下すことになります。
では次回は祖母を施設で見てもらうことを決断した時の気持ちなどを中心に書かせていただきたいと思います。