精神病院から退院した祖母は、再びグループホームへ帰ることになりました。
しかし思い込みの激しい祖母は、退院すれば自分の家に帰ることができると思い込んでいました。
以前から「足が治らないと家で暮らせない」と言い聞かせてきたのですが、退院すれば家に帰れると考えていたようです。
(祖母はレビー小体型認知症の影響で、どんどん足が悪くなっていました。)
私の母:「今からグループホームへ行くからね。」
祖母:「なんでね?家に帰るんじゃろ?」
私の母:「家には帰らないよ。足がまだ治ってないのに家では暮らせないやろ?」
祖母:「わたしゃ1人で暮らせるよ!家で歩く練習したらすぐに足も良くなるじゃろ。」
私の母:「練習中にこけたらまた骨折して痛い思いせなあかんやろ?足がちゃんと治ったら家に帰れるから。」
祖母:「なんでね?もうホームには行きたくないよ。」
私の母:「病院よりはマシやろ?ご飯も美味しいって言ってたやないの?」
祖母:「わたしゃそんなこと言っとらんよ!」
正直、この会話だけ聞くと入院前とほとんど変わらない内容です(笑)
ただ、入院前が「むちゃくちゃ怒っていた」とするなら、今回のは「怒っていた」という感じです。
怒っているのですが、昔のように手がつけられないような状態というわけでもありませんでした。
この後、私が「1週間ほどこっちにいるから、その間はおばあちゃんに会いに行くから」と言うと納得してくれました。
そして以前お世話になっていたグループホームに到着すると、スタッフの責任者の方(係長さん)が出迎えてくれました。
じつは祖母が入院してから2ヶ月ほどたった頃に、係長さんが1度お見舞いに来てくれたことがありました。
係長さんは、祖母が自分(係長さん)のことを忘れないようにと顔を見せに来てくれました。
祖母はちゃんと係長さんのことを覚えており、グループホームでの暮らしのこともよく覚えていました。
係長さんが驚くほど、祖母はグループホームのことを覚えていたようです。
祖母は認知症なのですが、再びグループホームに戻ってきた時にはほとんどの人の顔を覚えていました。
特に、仲の良かった「富さん」との再開はうれしかったようで祖母の表情も自然と緩んでいました。
(富さんについてはこちら)
富さんも、祖母をみると「あら!帰ってきたんね?良かったね!」と泣いて喜んでくれました。
もしかすると富さんは祖母が病気で入院し、帰らぬ人になってしまったと思い込んでいたのかもしれません。祖母が生きていることにすごくびっくりしている様子だったので(笑)
(富さんも認知症なのですが、私が見た限り、グループホームの中では1番しっかりしています。)
グループホームには帰りたくないと言っていた祖母でしたが、表情を見る限り、それほど悪い状態ではないようでした。
このまま落ち着いてグループホームで暮らしてくれればいいのですが、2つ、心配なことがあります。
1つは入院中にさらに足が悪くなってしまったことです。
祖母はレビー小体型認知症になって以来、パーキンソン病のような症状がでてしまい、日に日に足が悪くなっていました。
グループホームに入ってからも足の症状が悪化するスピートは早まりましたが(歩く機会が少ないので)、入院したことでより足の状態が悪くなってしまいました。
祖母の足は悪くなることはあっても、良くなることはありません。
リハビリをしっかりすることで、足が悪くなるスピードを遅らせることはできますが、リハビリをしなければどんどん悪くなってしまいます。
病院での入院中にもリハビリの時間はありましたが、祖母は「しんどい」などと言ってリハビリに参加しないことが時々ありました。
入院生活中はただでさえベットに寝てばかりだったので、リハビリをしなければ1日の中で歩くことはほとんどありません。
(ベットの横に置いてある「簡易トイレ」に移動する時の数歩だけです。)
その影響もあり、車椅子が欠かせないほど足の状態は悪くなってしまいました。
そうなると当然グループホームの生活では介助が必要です。
何をするにもスタッフの方に協力していただかなければなりません。
祖母は意外と人に気を使うタイプなので、人に迷惑をかけることを異常に嫌がります。
このことが原因でストレスがたまることも考えられます。
そうなれば、また気持ちが落ち込んで被害妄想もひどくなるかもしれません。
そしてもう1つ心配なことがあります。その心配というのが「携帯電話」です。
祖母は入院する前までは「携帯電話」を持っており、その「携帯電話」が精神安定剤のような役割を果たしていました。
「携帯電話」で私の母に愚痴を言うことで、ストレスを発散していたからです。
(その時の様子はこちら)
グループホームでストレスが溜まるのを防ぐためにもたせていた「携帯電話」でしたが、病院に入院した際に「携帯電話」も祖母からとりあげることになりました。
病院では看護婦さんがたくさんいる安心感もあったのか、入院して少したつと「携帯電話」のことは言わなくなりました。
なので今回、グループホームへ再び入居する時も「携帯電話」は持たせませんでした。
それに3ヶ月も「携帯電話」をさわっていなかった祖母は、もう「携帯電話」のかけかたを忘れてしまっていると思います。
病院に入院する前も、携帯電話のかけ方がわからなくなり、グループホームのスタッフの方に協力してもらうことがあったので。
ただそうなると、グループホームでの不満がたまった場合はまた被害妄想がひどくなる可能性があります。
それに祖母のストレスの矛先は私の母ではなく、グループホームのスタッフのかたに向いてしまうかもしれません。
再びグループホームでの生活ははじまりますが、どうなるのかは様子を見てみないとなんとも言えません。
できれば、被害妄想がマシになった状態がずっと続いてくれるといいのですが。
しかし、その願いが叶うことはありませんでした(笑)
ではまた次回に。