祖母は認知症が進むにつれて、被害妄想も酷くなっていきました。
以前書かせていただいたのですが、祖母の被害妄想によって私の母は通帳を盗ったと疑われ、それ以来、何を言っても「母が通帳を盗った」という記憶が祖母の頭の中から離れませんでした。
(その時の様子はこちら)
母は月に1度のペースで祖母の介護のため兵庫県から宮崎県に行っていたのですが、兵庫県に帰る時には必ずと言っていいほど、祖母とケンカをして帰ってくるようになりました。
このころの祖母は、母が帰って来て2日目ぐらいまでは安心感からか、機嫌が良いのですが、3日ぐらいから、母がいることが当たり前のことのように感じだします。
おそらく祖母の心の中では、2日目までは「帰って来てくれてありがたい」という気持ちがあるので、多少、不満があったり機嫌が悪くても、それほど激しく怒ることはないのですが、3日目ぐらいになると、ありがたさよりも不満やイライラの気持ちが大きくなってしまうようなんです。
祖母はレビー小体型認知症のパーキンソン病の症状により、歩くことがすごく大変になっていました。
トイレに行くだけでも、かなりの体力を消耗するので、息があがったりします。
そうすると、自分の心臓は病気じゃないのかや、子供のころ喘息だったので再発したんじゃないのかと悪いように考えます。
最初のころは母も心配になり、病院で祖母の心臓を見てもらったりしたのですが、「息があがるのはパーキンソン病の影響で、祖母にとって歩くことは、私達健康な人が全速力で走ることと同じぐらい大変なこと」だと言われました。
しかし祖母はパーキンソン病だからということを説明しても理解できず、どうしても悪いように考えてしまうため、その不満や不安な気持ちを全て母にぶつけるようになります。
祖母:「病院に連れて行って!」
母:「心臓は問題ないって先生に言われたやろ?」
祖母:「いや、違う病院で見てもらう。」
母:「もう2つの病院で見てもらったんやから行かへんよ。先生の言うこと聞かなあかんよ。」
祖母:「私が自分のお金でみてもらうんやから!はよ連れていき!」
母:「だから、どこ行っても同じやの!」
祖母:「お前は、私がはよ死ねばいいと思っとるんじゃろ!!」
母:「そんなわけないやないの!」
祖母:「お前は、通帳も隠したりして、恐ろしいやつじゃ!」
母:「また人のせいにして!自分が隠して忘れてるんやろ!」
祖母:「わたしゃ、忘れたりせん!!」
このような感じで、もう毎日のように言い争いになってしまうので、母も精神的にきつい状態が続いていました。
母も祖母が病気なので、怒ってはいけないと頭ではわかってるのですが、どうしても怒りを抑えることができないと悩んでいました。
私の場合は、祖母と孫という関係なので、祖母もここまで酷いことは言ってきませんでした。(後々、私にも遠慮なく言うようになりますが😅)
しかし親子ともなると、言いたいことをストレートに言ってしまうので、それが2人の関係をより悪化させてしまうみたいなんです。
また、母が兵庫県に帰る前日や当日には、祖母は必ず色々な物を隠しまわります。
祖母の頭の中では「母=泥棒」という思い込みがあるので、母が通帳や保健証などを兵庫県に持って帰ると思ってしまうみたいなんです。
いくら隠してはダメと言っても、隠さないと心配になるようで、夜中にゴソゴソ音がする時もありました。
母が疲れて兵庫県に帰って来た後も、次は電話攻撃が待っています。
母が兵庫県に帰る前に、きちんと通帳や保健証があることを祖母と確かめても、2日もするとこのような電話がかかってきます。
祖母:「みっちゃん、通帳どこやったんね?」
母:「またなくなったの?昨日まではあったんやろ?」
祖母:「あったよ!」
母:「私はおとつい帰ったやろ?昨日は兵庫県にいたからとってないよ!」
祖母:「お前しか、しまった場所をしらんがね!」
母:「私は兵庫県にいるの。その家におるのは自分だけやろ?」
祖母:「わたしゃさわっとらんよ!」
最初の電話は、こんな感じでまだマシなのですが、次の日には祖母の記憶がごちゃごちゃになっていることもありました。
祖母:「通帳、どこやったんね?」
母:「昨日も言ったやろ?私は兵庫県におるから知らんよ!」
祖母:「お前が帰ってからなくなったがね!」
母:「昨日も言ったやろ?私は3日前に帰ったの!通帳がなくなったのはおとついやろ?」
祖母:「いや、お前が帰った日から1度も見とらん!」
母:「昨日と話が変わってるやないの!おとついまであったって言ってたやないの!」
祖母:「そんなこと言うとらん!はよ通帳もってこんね!!」
どうしても母が通帳を盗ったと思ってしまうらしく、祖母は自分の記憶さえも変えてしまったのです。
こんな感じで私が祖母の家に介護に行くまでの1週間あまり、1日に5、6回は通帳のことで電話がかかってきます。
しかも通帳を盗られたと思っている祖母は興奮状態で、こちらの話を聞いてくれません。
私が宮崎に帰ったら探してあげると言って、どうにか電話を切るのですが、次の日にはまた同じような電話がかかってき、また同じ説明をするという状態でした。
これから、さらに被害妄想が激しくなっていくのですが、その話はまた今度させていただこうと思います。