被害妄想が治った?

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祖母と私の母(祖母の娘)はもともとは仲が良かったのですが、祖母がレビー小体型認知症になり被害妄想が酷くなってからは、関係が最悪の状態でした。

祖母は被害妄想により、自分の娘(私の母)のことを泥棒のように思ってしまったことがありました。
(その時のエピソードはこちら)

1度思い込んでしまうと、いくら祖母の勘違いだということを説明しても、認知症により理解することができないので、自分の娘に対して「悪い人」という印象を持っていました。

それ以来、自分の娘を見るたびに「怒り」が沸き起こってしまうような状態だったので、私の母に会うたびに機嫌が悪くなってしまいます。

それに加え、何か祖母の気にいらないことがあれば、全てを娘のせいにしてしまうので、私の母にとっては非常に辛い状況でした。

以前書かせていただいたように、現在祖母は上記のような被害妄想を治すために精神病院に入院しています。

そして前回書かせていただいたように、入院して1ヶ月ほどで、被害妄想になって以来1番良い状態だと言っても過言ではないくらい、祖母の精神状態は安定しているように見えました。
表情も柔らかく、被害妄想の時のように怒り出したりもしません。

でも何年も私達が苦しんだ祖母の被害妄想が、こんなに短期間で治るものなのか?という信じられない気持ちがまだありました。

私と母(祖母の娘)は交代で祖母の様子を見にくることになっていたので、もしも母との面会で祖母が怒りださなければ、これはもう被害妄想が落ち着いたと信じてもいいのかもしれません。

そして母が久しぶりに祖母の面会に行く日が来ました。

私はすでに祖母のいる宮崎県から兵庫県の自分の家に帰っていたので、電話で母が面会した時の様子を聞ききました。

母が祖母と面会した時は下記のような様子だったようです。

私の母(祖母の娘):「お母さん、久しぶり。元気してた?」

祖母:「みっちゃんね?(私の母)、久しぶりじゃね!元気じゃよ。」

私の母:「部屋の場所が変わったんやね。」
(入院したての頃はナースステーションの前でしたが、精神的に安定してきたこともあり4人部屋に移動になりました。)

祖母:「そうじゃ、トイレ(簡易トイレ)もちゃんと用意してくれたよ。」

私の母:「よかったやないの。看護婦さんにも慣れた?」

祖母:「うん、よか人が何人かいるからね。」

私の母:「よかったやないの!お菓子持ってきたけど食べる?」

祖母:「何を持ってきたんね?プリンね?美味しそうじゃね!」

そしてプリンを食べた後

祖母:「美味しかった!ありがとうね!」

私の母:「いいえ、どういたしまして。」

祖母:「もうないんね?(笑いながら)」

私の母:「もうないわ(笑)、あんまり食べ過ぎたらご飯が食べられへんやろ?」

祖母:「そうじゃね。」

この後も1時間ほど会話をしたそうです。

私の母:「じゃあ、そろそろ帰るね。」

祖母:「うん。ありがとうね。」

私の母:「それじゃあ、また明日会いにくるね。」

特に変わったところもない普通の親子の会話に見えるかもしれませんが、この時の私と母の感覚では奇跡に近い会話といっても過言ではありませんした。
(本当に大げさではなく 笑)

普段の祖母なら(被害妄想になって以来)、「自分をかってに病院なんかにいれて!」と怒り出すか、「ご飯がおいしくない!こんな病院にいれて!」と怒り出すか、「わたしゃ家で暮らすからね!」と怒り出すか、とにかく何らかの不満や文句を言い出します(笑)

それに祖母が被害妄想になって以来、私の母に対して終始穏やかな状態で会話をしたという記憶がほとんどありません。しかも「ありがとう。」という言葉まででるなんて。

私も祖母と面会して感じたことなのですが、「祖母の表情がすごく穏やかだった」と私の母も言っていました。
(いつもは険しい顔をしています。)

もちろん、この後も1週間ほど母が面会に行きましたが、全ての面会で穏やかに、昔の祖母に戻った時のように会話ができたようです。

たった1ヶ月ほどで被害妄想が治ったと言ってもいいぐらいに、祖母の状態は良くなりました。
正直、個人的にはもう退院してもいいんじゃないかと思えるほど良い状態でしたが、新しい薬の様子(副作用など)を見ていかなければいけないようなので、当初の予定通り3ヶ月は入院しなければなりません。

私の母はいちど兵庫県に帰りますが、1週間あけて今度は私が祖母の様子を見に行くことになります。

ではまた次回に。

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