再び舎弟に

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レビー小体型認知症の祖母。

祖母が認知症になる前は、私は祖母の家に行っていたのは多くても1年に1度ぐらいで、3年ほど会わなかった時期もあったりと、それほど多くの時間を過ごしたことはありませんでした。

そんな私が、祖母に対して持っていた印象は「やさしくて気を使いすぎるおばあちゃん」というものでした。

私達家族が祖母の家に帰るたびに、「これ美味しいから食べんね。」と食べきれないほど、色々な美味しいものを用意してくれたり、私達が何か手伝おうとすると(庭掃除など)、「せっかく帰ってきたのにゆっくりせんね!」と言ってなにもさせてくれなかったりと、祖母はおせっかいなほどに気を使う性格でした。
(それでも何か手伝おうとすると、怒り気味にとめられます 笑)

祖母はレビー小体型認知症になって以来、被害妄想が酷くなったり、文句ばかりを言ったりということは多くはなりましたが、基本的な性格(おせっかいなほど気を使う性格)は変わっていません。

私が祖母の介護で一緒に過ごす時間が多くなってからも、いろいろ気を使ってくれることが多く、ご飯を食べる時なんかは、私がおかずを多めにとらないと「わたしゃ、あまりお腹すいてないからお前が多めにとりない。」と毎日同じようなセリフを言います(笑)

祖母の被害妄想のスイッチが入っている時以外は、このように人に対して気遣いができる昔の祖母のままなのですが、私より気を使う対象が表れると、なぜか私を「舎弟扱い」する時が多々あります。
(以前、舎弟扱いされた時の話はこちら)

祖母が私達の家(祖母の娘家族の家)に来る時の話です。

前々回に書かせていただいたのですが、祖母は被害妄想による勘違いから祖母の家に手伝いに来てくれていたヘルパーさんを泥棒扱いしてしまい、ヘルパーさんに介護を断られてしまいました。

この断られた時期というのが年末だったこともあり、祖母はひとまず私達の住む兵庫県に来ることになります。(宮崎県から)

兵庫県には私が連れて帰ることになるのですが、それまでの2週間ほど宮崎県で祖母と一緒に暮らしていたため、祖母の頭の中では、なぜか私も一緒にお世話になりに行く側の人間という感覚になってしまいます(笑)

この時は2週間一緒に暮らしたので私への気遣いは徐々になくなっていき、祖母の気を使う対象は、私よりも、兵庫県にいる私の家族へ向けられることとなります。

そのため兵庫県への道中でも、「私達はお世話になるんじゃから失礼のないようにせないけん」だとか、どういう意味なのかはわかりませんが「お前がしっかりせないけんよ」と言ったり。

私としては自分の家に帰るだけなのですが(笑)。

ただ被害妄想の酷い状態の祖母と比べると、この時のように人に気を使う心が大きく出ている祖母のほうが、祖母自身にとっても、私達家族にとっても、とても良いことでした。

祖母は被害妄想が酷くなって以来、私の母(祖母の娘)に対しては、かなりきつい態度で接していましたが、今回は「怒り」や「憎しみ」といった感情よりも、「感謝」の気持ちのほうが大きくでているようでした。

その影響もあり、私達の家に着いた祖母は、なぜかすごく私の母(祖母の娘)に気をつかいます。

家に着いて、夕食を食べた後の会話です。

祖母:「今日のご飯は美味しいかった。

母:「そう?お腹がすいてたからじゃないん?

祖母:いや、あっちでは(宮崎では)こんな美味しいものは食べたことないよ。

私:「オレも美味しいもの作ってあげてたやないの!

祖母:「そうやったね 笑

このような感じで祖母は機嫌が良いようでした。

と、ここで母がトイレに席をたつと

祖母:「むーちゃん(私)、はよあんたも動かんね!

私:「え?おばあちゃんトイレ行きたいん?

祖母:「違う 笑、後片付けをはよせんね!

私:「おれ?お母さんがやってくれると思うで。

祖母:「何でお母さんにやらすんね!あんたがやり!

私:「いつもはお母さんがやってくれるんやけど。

祖母:「何でね!お世話になるんじゃから、それぐらいせんね!

私:「おばあちゃん、どっちかというとオレ、ここの住人やねんけど 笑

祖母:「そんなことわかっとる!私ができんのやから、お前がかわりにせんと。

被害妄想が酷くなってからは、私の母に対しては「子供が親の面倒をみるのは当たり前じゃろ!」とか「お前は何のやくにもたたん。(遠くで暮らしているので)」とか言っていた祖母が、感謝の気持ちを取り戻し、少し昔の祖母に戻ったようでした。

母は祖母の変化に驚き、この精神状態が続いてくれればと願っていました。

もちろん私も、私を舎弟のように扱う以外は(笑)、祖母の精神状態がこのまま続いてくれればと思っていました。

が、やはり現実はそんなに甘くなく、徐々に祖母の被害妄想がでてくることになるのですが、少なくとも、年末年始の間は、祖母は心穏やかに過ごすことができたので、その点はよかったかなと思っています。

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