認知症の祖母の暮らしについて、心配なことの1つが薬の管理。
認知症が進行していくにつれて、薬の飲み忘れや飲み過ぎといったことが少しずつ多くなっていました。
以前は私か母が介護で祖母と一緒にいる間は、「薬まだ飲んでないよ」や「薬はさっき飲んだよ」などと声かけをすれば、素直に言うことを聞いてくれていたのですが、認知症が進行していき、被害妄想が酷くなってくると祖母は私達の言うことを聞いてくれなくなってしまいます。
母:「お母さん(祖母)、朝の薬はさっき飲んだよ。」
祖母:「わたしゃ、まだ飲んどらんよ!」
母:「なんでよ、朝ご飯食べる前に飲んでたやないの。」
祖母:「お前はまた嘘をついて!自分のことは自分が1番覚えとる!」
このように祖母は、こちらが何を言っても、自分の記憶が正しいと思い込んでしまいます。
そこで私達は、祖母が飲んだ薬が入っていた袋を捨てずに、上記のように祖母が薬を飲んだことを忘れてしまった時には、証拠として薬が入っていた袋を祖母に見てもらうようにしました。
こうすることで、祖母は怒ることなく自分が薬を飲んだと納得してくれるようになりました。
1人暮らしの期間
私と母は兵庫県に暮らしており、祖母は宮崎県に暮らしています。
祖母は遠距離介護なので月に1週間から10日ほど1人暮らしになってしまいます。
そのため1人暮らしの間は訪問看護さんに薬の管理をお願いしていました。
(訪問看護についてはこちら)
訪問看護さんにお願いするまでは、朝食と夕食に飲む薬をそれぞれタッパーに入れるだけで、そこから祖母が薬を取り出し飲んでいました。
タッパーには1度に20日分ほどの薬をいれており、祖母が薬を飲み忘れたり飲み過ぎたりしてもわかりにくい状態だったので、訪問看護さんの提案でタッパーではなく、お薬カレンダーを使うことになりました。
(上記のようなお薬カレンダーを利用することに)
お薬カレンダーは薬を飲んだのか飲んでいないのかが一目でわかるので、祖母の飲み忘れや飲み過ぎも少なくなるだろうと思っていました。
しかし祖母はこの頃、曜日や日にちを間違うことが多くなっていたため、お薬カレンダーを使うことで逆に混乱してしまうことになります。
お薬カレンダーを使うことになって数日がたったある日、母にこのような電話がかかってきました。
祖母:「みっちゃん(母)、今日飲む薬を看護婦さんが入れ忘れとるよ。」
母:「うそ?そんなわけないと思うけど?」
祖母:「水曜日のところに薬がないよ。」
母:「今日は、木曜日やで?だから木曜日のところから薬をとらなあかんのよ?」
祖母:「なんでね、今日は水曜日じゃろ?カレンダーにも水曜日って書いてるがね!」
母:「今日は木曜日やから、カレンダーの木曜日のところを見なあかんのよ?とにかく木曜日のところから、薬をとって飲んでみて!」
祖母:「木曜日にも薬はない!看護婦さんは薬を用意しとらんがね!お前が勝手に看護婦さんにたのむから!こんなややこしい入れ物にいれて!」
母:「じゃあ、他の曜日から薬をとって飲んでみて!後で電話で看護婦さんに聞いてみるから。」
この日はちょうど看護婦さんに来ていただける日だったので、後から訪問看護さんに電話して聞いてみると、木曜日の場所にはちゃんと薬がはいっていたそうです。
おそらく祖母の頭の中では「今日は水曜日」という思い込みが強すぎて、水曜日の場所以外は目にはいらなかったんだと思います。
なのでこちらがいくら「木曜日の場所を見て!」と言っても、薬の存在に気づくことができませんでした。
この日から、このような電話が頻繁にかかってくるようになり、祖母は自分のミスではなく看護婦さんが薬を入れ忘れていると思い込んでしまいました。
被害妄想が強い祖母は、この出来事から訪問看護さんへの印象が悪くなり、母への電話で看護婦さんの文句を言うようになってしまいます。
認知症と診断された段階からお薬カレンダーを利用していれば、この時も難なく使用できたと思うのですが、曜日や日にちを勘違いしてしまう祖母の状態から、新しいくお薬カレンダーを利用するには少し難しいようでした。
※私の祖母は利用するのが遅すぎましたが、お薬カレンダーは、利用される方の理解力があるうちに使用を開始すると、とても便利な物だと思います!
訪問看護さんにこのことを相談したところ、今までのようにタッパーに薬を入れる方法に戻しましょうということになりました。
ただ以前と違うのは、薬を1週間分だけタッパーにいれ、どの薬を飲み過ぎたのか、飲んでいないのかをわかりやすくするということでした。
訪問看護さんが週2回来てくれていたので、その都度、薬の様子を見ていただき、飲み忘れ、飲み過ぎがある時は祖母に声かけをしてもらうことになりました。
また訪問ヘルパーさんが来る日には、ヘルパーさんにも声かけをお願いし、何とか祖母の薬を管理する体制が整いました。
祖母は薬を管理されることを嫌がり、時々文句を言うことはありましたが、機嫌をとりつつ、この状態を継続していくことになります。