前回の続きです。
祖母が兵庫県の私の家に来た時の話です。
祖母の家(宮崎県)から私の家(兵庫)までは、飛行機と車で約5時間ぐらいかかります。
私が空港に母と祖母を迎えに行くと、機嫌も良く旅の疲れもなさそうでした。
家に到着し、祖母が寝る部屋を見せると「なかなか良いところやね」と喜んでくれました。
宮崎県では「〜が痛い」「〜が苦しい」などとよく言っていたのですが、兵庫県に来たころは安心感からかそのようなことは言わなくなりました。
そして数日後、病院で心臓の検査をしてもらう日が来ました。
(祖母が兵庫県に来たがった理由の1つです)
祖母は大きな病院で診察してほしいと言っていたのですが、大きい病院で診察してもらうにはまずは紹介状を書いてもらわなければなりません。
近所の病院に行き、紹介状を書いてもらおうとしたのですが「まずはうちで検査しましょうか」と言われました。
そして検査の結果、心臓の状態は悪くはなく、今の飲んでいる薬で大丈夫ですよ。という診断が下りました。
祖母はその診断に納得できず「少し歩いただけでも苦しいんです」と言うと、お医者さんは「それは、◯◯さん(祖母)にとって歩くことが、私たち健康な人が全速力で走ることと同じぐらい大変なことだからですよ」という答えが返ってきました。
確かに祖母はレビー小体型認知症になってから、パーキンソン病の症状がではじめ、歩くのがとても大変そうでした。
またレビー小体型認知症になってから、祖母は少しの変化でも敏感に反応するようになっていたので、少し息切れしただけでも心臓が悪いんじゃないかとすごく不安にかられてしまうことは十分に考えられます。
そんなこともあり、私たち家族は病院の先生の話で納得できたのですが、祖母は少し不満げな表情でした。
しかしこの日は文句も言わず、家に帰り1日を過ごしました。
私たち家族は祖母が兵庫県に来る前にした約束をちゃんと守ってくれているなと思っていました。
(約束の内容は前回の記事をご覧下さい)
しかし祖母にとってマンション暮らしは窮屈なようで、少しずつ不満がたまっていきます。
祖母の家は一戸建てで、庭に出て歩いたりしていたので、1人で外に出ることができないマンション住まいはストレスがたまってしまうようです。
また被害妄想が激しくなってきていたので、どんどん悪いように考えるようになっていました。
祖母が宮崎に住んでいる自分の妹に電話をしているところを聞いてしまった時の話です。
妹:「そっちの暮らしはどうね?」
祖母:「窮屈やよ。家(宮崎)のほうがよっぽどいいわ!」
妹:「みんな居てくれて、安心して暮らせるじゃろうに」
祖母:「そげんことないよ、1人のほうが気楽じゃよ!こんなとこずっとおったら、よけいに歩けんくなる!」
(妹の会話は「たぶんこんなこと言ったんだろうな」という感じで書いてます)
認知症になってから注意力がなくなってきおり、隣の部屋に私がいるのに大きな声でこのような会話をしていました(笑)
「これはもう限界も近いな」と感じ、母や家族と相談したのですが、祖母の気持ちはコロコロ変わるので、マンション暮らしに慣れるかもしれないし、もう少し様子を見ようということになりました。
しかし次の日にもう様子を見る余裕はなくなります(笑)
朝起きると、言い争いが聞こえてきます。
祖母:「お前(母)が勝手にこっちに連れて来てから、足が悪くなった!」
母:「自分(祖母)が『もう1人じゃ暮らせん』って言ったんやないの!足はもともと悪かったやろ?」
祖母:「そんなこと言うとらんよ!私は大きい病院に連れて行ってって言っただけじゃよ!しかも病院にも連れていかんで。このままじゃ歩けんくなる!」
母:「病院は連れて行ったなやいの。お医者さんにも『心臓は大丈夫です』って言われたやろ?それに大きい病院は紹介状がいるの!」
祖母:「あんな病院行きたくなかった!大きい病院連れて行くって言ったのに、嘘ついて!もう私は帰るからね!こんなとこおったら寝たきりになる!」
祖母はレビー小体型認知症になってから、自分の言ったり、したことを忘れるのか、とぼけるのかはわかりませんが(笑)、自分が不利になることはいっさい認めなくなりました。
この時も、兵庫県に来る前に「もう1人暮らしはできない」と言ったことを忘れ、無理矢理連れてこられたかのように言いだしました。
祖母の頭の中では、「母が無理矢理連れてきた」という思い込みが記憶として書き換えられてしまい、こちらがいくら説明しても修正がききません。
こうなってしまうともうどうしようもなく、毎日のように怒るので私たち家族もあきらめて宮崎県に祖母を連れて帰ることになりました。
そして母に悪い印象を持ったままの祖母の被害妄想は、ここからさらにエスカレートすることとなってしまいます。
では今回はこんあたりで失礼します。